大谷翔平 二刀流復活! 663日ぶりの復帰登板が決定

2025年 まとめ

 ドジャースは6月16日(日本時間17日)のパドレス戦に大谷翔平が先発投手として登板することを発表しました。投手としての復帰はオールスター後の7月後半が有力視されていたため、予想よりも大幅に早い電撃復帰となります。まずはここまでの道のりを振り返ります。

 2023年は3月に開催されたWBCで、日本代表として胴上げ投手となるなど投打で優勝に貢献して幕を開けました。シーズンでは、当時所属していたエンゼルスで、10勝&40本塁打と二刀流で異次元の成績を残します。しかし、8月23日のレッズ戦で1回と3分の1を投げたところで右腕の違和感を訴えて降板します。その後、右肘の内側側副靭帯の損傷で投手としてはシーズン終了、9月19日には手術を受けました。この年は日本人で初めての本塁打王を獲得、2度目のMVPにも輝きます。
 オフにはFAとなり、2024年はドジャースに当時の史上最高額の契約で移籍し、10年契約の1年目。野手に専念し、史上初の50-50を達成。史上初のリーグをまたいでの2年連続MVP、チームもワールドシリーズ制覇と最高の1年となりました。投手の復帰に向けては、シーズン中からキャッチボール、ブルペン入りしますが、プレーオフでは投手としての調整は一旦ストップし、さらにワールドシリーズで左肩を脱臼してオフには手術を受けました。
 2025年はいよいよ投手として復帰に向けてキャンプからブルペン入りします。これまではランナーがいない場面でもセットポジションから投球していましたが、キャンプではノーワインドアップから投球しました。順調にブルペン入りを繰り返し、実戦での登板も見込まれていましたが、前年負傷した左肩の状態を考慮して、野手としての調整に専念となります。3月のシーズン開幕後はブルペン投球を再開、5月21日にはカーブ、スライダーの投球を解禁します。5月25日には打者相手のライブBPに登板し、22球を投げ、最速97マイルを記録します。31日には29球を投げ、この日も97マイルを記録。制球を乱す場面もありました。6月10日には3度目のライブBPに登板し、3イニングを想定して44球を投げ6奪三振としました。この後もライブBPで投球数を増やしていく予定でしたが、6月15日の試合終了後、ロバーツ監督より、16日からのパドレス4連戦での復帰が示唆され、その後球団の公式SNSより16日の先発登板が発表されました。

 当初はオールスター後の復帰が見込まれていましたが、電撃的な復帰となりました。

 投手が大きな故障から復帰する場合、マイナーで何度か調整登板することが一般的です。しかし、大谷はDHでメジャーの試合に出場しており、欠場することはチームにとってダメージとなります。また、マイナーリーグの球場はドジャースの本拠地であるロサンゼルスから近いとは言えず、リハビリ登板と、打者としてメジャーの出場をするために行き来することは身体的な負担、時間の問題を考慮すると現実的ではありません。したがって、ライブBPを繰り返して調整してきました。
 昼間にライブBPの登板、夜は打者として試合に出場することを繰り返してきましたが、ダブルヘッダーをおこなうような身体的、時間的な負担があり、メジャーの試合に復帰することを選択したと思われます。もちろん、メジャーの真剣勝負の試合で登板することもあり、大谷本人が14日の試合後に話していた通り「十分試合で投げられるレベルに近づいている」といった手ごたえが復帰につながったのでしょう。
 16日の登板は1イニング程度を予定しているようで、今後もオープナーのような登板を繰り返しながら徐々に球数を増やしていくことが予想されます。

 大谷の復帰はドジャースにとってもプラスになりそうです。MLBで出場選手枠に登録することのできる投手は13人までですが、大谷は「二刀流枠」になるため、ドジャースは実質14人の投手を登録することができます。さらに、先発投手の故障が相次いでいる中で、ブルペンデーなど苦しいやりくりが続いています。短いイニングでも投げることができれば、他の投手の負担を減らすことにもなりそうです。

 2度目の肘の手術後ということもあり、慎重を期して調整を続けてきた大谷ですが、ここで一気に復帰となりました。本塁打王がマウンドに上がるという歴史的な場面を見られることを噛みしめ、一日でも長く二刀流の活躍を願うばかりです。

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